ブログ「かぞくのことば史」

かぞくのエピソードは、忘れてしまうには寂しいから、パパ目線で切り取っていきます。全国のかぞくからのご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします!

小さな幸せは足音も静かに|かぞくのことば史025

かぞくのことば史(2019・1・25)

小さな幸せは、当事者にしか、たった一人でしか、味わえない時もある。ある朝、入りずらかったピアスがなぜか抵抗なく通った鏡の前の女性も、卒園式の夜、最後の洗濯に入れるくたびれた制服をじっと見つめてしまう母親も、急なバイトに駆り出された日の夜空、流星群に出会ったニュースを見ない少年も、毎日と同じはずだった一節に、予期せぬ角度で「和音」が重なり、一人でそのハーモニーに気づいてしまった結果の、小さな幸せだったりする。

今朝もいつもと変わらない朝の流れだった。メグさんが起きて、私が起きて、長男が起きて、ご飯や着替えで一通りあたふたして、私が次男を起こすため寝室に向かい、抱っこをしてリビングに連れてくる。次男はいつだって寝坊助だ。いつからこの流れなのか、かぞくのことば史を記録し始めて間もない私には知りようもないけれど、ほとんどの親は、目覚めた子どもに、喋れるかどうかは関係なく、「おはよう」と語りかけるだろう。毎日、毎日、「おはよう。」「おはよう。」でも、赤ちゃんから「おはよう。」は帰ってこない。少し言葉を覚え始めたら、そのことばが聞きたくて「おはよう。おはようって言ってごらん?」に変わる。毎日、毎日「おはようって言ってごらん?」「おはようって言ってごらん?」期待に応えるように子どもが「おはよう」と返してくれた日はそれはそれは嬉しかったと思う。ただしこれは、そうむしろ、大きな喜びだ。小さな幸せではなく、いつかそんな日が来ると予期していた大きな幸せだ。「おはよう」と言えば「おはよう」と返してくれるようになった日から、私は目覚めの時間にこれ以上の期待なんてなかった。私にとってはリビングに次男を連れてくる儀式でしかなかった。平凡な毎朝。小さな幸せを感じる準備が整った頃だった。寝室に入ると次男が寝ている。いつも通り起こしにかかる前に、クローゼットの前で自分の着替えを済ませていた。すると、いつのまにか一人で起きてきた次男が後ろから「パパ、おはよう」と声をかけた。振り返った私は少しの間言葉を返せないでいる。‘次男から’「おはよう」を言ってきてくれたのは今日が初めてだった。その声は、柔らかい風が心を通り抜けたみたいだった。私は膝をついて目線を合わせ、久々に心から言った。「おはよう、そうちゃん。」

リビングにもどって、メグさんに報告をしようかどうしようか迷ったが、内緒にすることにした。そのうちこれを読んでバレるだろうし、少しだけ、小さな幸せを独り占めする時間を楽しむことにした。